歴史に彩られた泉佐野の食文化
泉佐野の食文化には3つの日本遺産が息づいています。
東側には修験者が修行する「犬鳴山(和泉葛城山系)※1」がそびえ、そこから湧き出る清水が、約800年前に開墾された荘園「日根荘 ※2」を潤し、おいしいお米を育んでいます。やがて水稲の裏作として栽培され始めたのが、今や大きな評判を呼んでいる泉州キャベツや泉州玉ねぎ、泉州水なす等です。
一方西側は、200種ほどの魚が揚がる世界有数の豊かな漁場・大阪湾に面しています。しかも泉佐野の漁獲高は大阪トップクラス。約60年前に漁師さんたちが始めた漁港併設の青空市場は、今日もプロの料理人や市民、観光客で大いに賑わっています。また、泉佐野の海は江戸時代から明治時代まで北海道~大阪間を行き来した「北前船 ※3」の寄港地でした。和泉国随一の港として大いに栄え、今も一部の街並みに当時の趣を残しています。
荷下ろしされた北海道産のニシンや昆布は「食い倒れの街・大阪」を支え、同時に泉佐野の食文化にも大きな影響を与えていただろうことは想像に難くありません。
※1『葛城修験-里人とともに守り伝える修験道はじまりの地』
和歌山県、大阪、奈良の境にそびえる葛城の峰々。修験道の開祖となる役の行者がはじめて修行を積んだ地。泉佐野では、葛城二十八宿の復元に尽力した犬鳴山(七宝瀧寺)、火走神社、奥家住宅などが構成文化財として認定されました。
※2『旅引付と二枚の絵図が伝えるまち -中世日根荘の風景-』
約800年前、摂政や関白になった上級貴族である五摂家の1つ、九条家の治める「日根荘」とよばれる荘園があり、現在まで受け継がれてきた中世荘園に由来する土地利用のあり方が高く評価され、選定されました。
※3『荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~』
「北前船寄港地・船主集落」である佐野浦(佐野町場)が、江戸時代、豪商食野・唐金家の船主集落として、多数の北前船で大坂・瀬戸内から日本海側を東北・北海道方面まで交易し、和泉国随一の港として栄えた歴史的背景が地域に色濃く残されています。